老境を往く

2016年09月20日

老人週間(シルバーウイーク)「お年寄りを大切に・・」というコピーに始まった『老人の日』だったが現在は第3月曜日にスライドされ『敬老の日』と改名された。毎年日付けが移動する祝祭日に年寄りは些か戸惑いを思うが連休の増設で経済効果を期待した祝日の設定だったようである。
私の青年時代には、お年寄りはお国の宝・・と言われたものだが、自身が「後期高齢者」と呼ばれる今は、耳が遠くなったせいか「国の宝」などとは聴こえて来ない。


子供の数が少なく年寄りの数が増えたのは確かで時代背景と生活環境が生んだ「少子高齢化」という構図のようである。最近国内で、100歳を越す高齢者人口が6万人を遙かに越え65歳以上は3千5百万人を越すというから、食生活や医療の世界・・各自の生活環境にも変化が生じたのだろう。日本は長寿国になったものである。金さん、銀さんのご長命が話題になった時代を懐かしくさえ思う。


好季(後期)幸齢(高齢)?に感謝して毎日を暮らす私だが何々の日という祝祭日には必ず金子が出て行く仕組みになっていることに気付く。ママの日もパパの日も・・お雛様も子供の日も・・高速道路のETCのようにカードを翳さなければ通過できない世の中になった。連休増設作戦は功を奏したのだろう。運転免許の「高齢者講習のお知らせ」が届く。三年の更新期間はあっと言う間にやって来る。


「認知機能検査」は結構面倒だし自身の年齢を考えると免許の返却についても検討すべき時期か?とも思う。運動能力や車輌の維持管理についても再認識すべき時なのかもしれない。『ボケたら乗るな!・・乗るならボケるな!・・』と自身を戒めてはいるがもう少しは乗っていたいと思うのが本音である。


ご存知の方もおいでだろうが、伊勢神宮で古くから伝わる神事に「檀那(檀家)」に配られた『御祓い済み札』を『御祓いの箱』として保存されてきた歴史がある。時代が巡り新旧が交替すると『不要だから古きは御払い箱に・・』と、その主旨は逆転した。現在も続く神聖な儀式で、国のお宝を・・長寿を「お払い箱に」するというのは理不尽だろうという意見もあるようだ。(お払い箱の語源)


『年齢を思えば免許は返した方が良いかも知れませんね・・』つい先日、倅との雑談中に平然と愚息が切り出した言葉である。そうか・・親父をそんな眼で観ていたのか?・・歳を重ねたのは現実だが、肺炎での入退院以降、酒を絶ち煙草を断ち、一切の煩悩を捨てゝ一日を生きる老父が残る愉しみとする車からも降りろってか?・・「ハンドルを握る手はまだ現役だぞッ!」と胸を張りたい処だが黙して堪えている爺である。


警察や安全協会から届いた必見書類には明確に『後期高齢者特別講習』とゴシックで書かれている。一般講習に先立って認知症のテストが義務付けられた。頭の中では『好季幸齢者』と修正したい希望的誤植?である。苦虫を噛む代わりに苦いストロング(珈琲)でも飲んで、造り笑顔で出掛けることにするか・・・「敬老の日」は「老境を彷徨う日」というのが真意のようである。  


Posted by gonna at 17:53Comments(0)